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「いやだ」②

「いやだ……いやだ!」
僕の口から初めて、明確な、はっきりとした、大声の拒絶の言葉が飛び出した。
赤島はにやりとして「何だ、今までずうっと黙って俺に殴られてたから、お前にはそういう言葉を言う機能が欠けてるのかと思ったよ」と言った。でも僕の左腕を掴む左手の力も、僕の首を掴む右手の力も緩めようとはしなかった。
「お前、死ぬかもって思ったからやっと拒否したの?てことは今までは別に死なずに耐えられると思ってたんだよな?ああー甘かったわ、もおっと毎日死にたいと思わせておけばよかった。それか、死にたくない、生きたいと思わせておけばよかった」
赤島は本気で後悔しているように項垂れた。でも次に顔を上げたときも、やっぱりにやついていた。ほとんど、拷問を楽しもうとしているような表情だった。僕は、こいつは本当に頭がおかしいんだと、半年間殴られ続けてやっと気が付いた。
「今までだって思ってたよ、こんな毎日、死んだ方がマシだって!理由もわからず、痛い思いばっかりさせられて」
「あれ?言ってなかったっけ?」
赤島は本気で不思議そうな、素っ頓狂な声を出した。僕は慌てて再び口を開いた。
「どんな理由であれ、ここまで殴って、蹴っていい理由にはならないはずだ……!俺が何かしたならそれを謝るから、それを埋めるから!いやなんだ、もう母さんに心配かけるのはいやだっ」
「なあ、お前、母親のこと愛してるの?」
赤島は急に声のトーンを落とし、真面目な調子で言った。僕は突然出て来た「愛してる」なんていう単語にひっと息を飲んだが、脳裏に母さんの疲れた笑顔が浮かんできたから、ちゃんと答えた。
「これが愛だってはっきり思ったことはないけど、たった一人で僕を育ててくれた母親なんだ。とても大事に思ってる」
「じゃあ母親からの愛は、いやじゃない?」
「……いやじゃない」
すると赤島はからりと明るい笑顔を見せた。しかしそれはすぐに、先ほどのにやつき――しかもそこに、何か特殊な何かが混ざった笑みをたたえて、ぐっと僕に顔を近づけた。
「俺、お前のこと好きなんだよね。それが理由だよ。人間の一番強い感情って、『生きたい』か『死にたい』だと思うんだよね。辛くてきつくて泣きそうなところまで追い詰められたとき、『こんなんでも生きたい』か『こんなんなら死にたい』のどちらかは思うじゃん。俺が一番の感情をお前にあげたくてさあ。好意だよ、愛だよ」
赤島は今まで俺につけた痣や傷の全てを撫でまわす。僕は頭がまわらずされるがままになっている。まわらない頭で、赤島の笑みに混ざる特殊な何かが、欲情だと気が付いた。
「なあ、それでも、いやだ?」
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「いやだ」①

食え、と言われたのでまた口を閉じた。先ほどは喋れと言われたから閉じたのだった。
足立と名乗った、狼のような顔をしたオッサンは、あからさまに大きなため息をついた。
「やめろ。そういう意地の張り合いは何も生まないぞ。自分で死を引き寄せてるだけだ。まださっきの方がわかる。仲間の死を引き寄せたくないんだろ」
足立はパンを床に放った。私に与える食料だろうけど下から見たら何が入っているのかわからない平たい器は、まだ手に持っている。
「私は感謝している」
急に私が話し始めたので、足立は驚いたようだった。私はまだ目を閉じたままだったけれど、空気の揺れ方でわかったのだ。
「今まで私、人を率いたり、自分で人の道を決めたりするのはもちろん、自分で意思をはっきり示したことが少なかった。ううん、少なかったじゃなくて、無かったと思う。でもこうなって、初めて私、自分で意思を示そう、そうしないと何も変わらないと思えた」
そして私は目を開けた。
「喋るのも、食べるのも、いやだ」
足立は驚きと呆れが混ざった表情で、口の端をぴくぴくと震わせた。
「私は私を強くしてくれた足立に感謝してる」
私はまっすぐに足立を見上げた。
「じゃあ俺は」
足立は意外にも、唇の右端をぐっと引き上げた。
「お前が喋らないのも、食べないのも、いやだ」
足立は半分面白そうに言った。
私たちは睨み合った。私は目にあらん限りの力を込めて足立を見上げ、足立はにやついて私を見下ろしていた。

AIR感想まとめ②

Twitterに投稿していたAIRの感想まとめ②です。

みちるは人間の身体の仕組みの限界により生んであげられなかったのであって「許されなかった」わけではない、美凪は母親の悲しみと心を否定したくなかったのであってそれはみちるの「せい」ではない、でも最後の「おねえちゃん」という架空の事実がそれらをも事実にしてしまっている。#AIR感想

全部みちるのせいではないんだけど、かといって美凪が言っていたように妹が欲しいという自分の言葉に責任を感じることもしなくていい。美凪もみちるも可哀想だし被害者だけど、かといって母親が加害者なわけではないんだよなあ。AIRは、敬介が微妙だけど、でも悪い人は全くいない。#AIR感想

母親との“再会”の時、数秒美凪の子供時代が幾つか映されるのだけど、あの数秒で「自分には娘がいて、可愛くて小さくて確かに温もりがあって、お父さんっ子だったけど私たちは母子でその子を愛していて今この子も私を愛していてくれて、その子の名前は」という母親の想いが見えて泣けた #AIR感想

4人での食卓シーンは衝撃で、見ながら「えっ」て言った。現実なら有り得ない場面で、現実でも成り立ってほしいような、成り立つことが良いことではないような。みちるは自分の母親と向き合っているわけだけど、でも実際には母親ではないし、でも愛しいし、愛しい美凪の母親だし…。#AIR感想

4人での食卓シーンは皆にとって幸せの空間だったから本当に良いシーンだけど、誰にとってどういう幸せだったのかまだ整理がつかない。また考えたい。そして屋上の別れ、ちゃんと2人とも笑ってバイバイしたの偉いよう。。。ここもっかい見直そう…。そして父親の新しい子供の件は 続 #AIR感想

「そんなんあり!?」と思いながらも同時に「良かったねえ美凪…!!」と思ったのも事実なのであった。大事にしたい存在、おそらく大事にしてくれる存在がいてくれて良かったねえ。でもあのみちるはみちるではないのが悲しいし切ないし、でもでも美凪もそれはわかっているんだろうなあ。 #AIR感想

一度美凪とみちるの話は区切り。佳乃と聖、美凪とみちる、晴子と観鈴の母親と、この話は家族の絆の中でも姉妹について深く描かれている。フィクションとして楽しめる兄弟ものを手に取ることが多いので、姉妹の描写は新鮮でもありながら、その場にあるような切なさや心情を感じました。 #AIR感想

5話、神経衰弱のためにトランプを用意して、1枚だけ配り損ねてあっとなって全部ばらばらと落としてしまい泣き出すシーンが共感という意味では一番辛かった。「頑張らなきゃ」という焦燥と必死と息苦しさは観鈴のような境遇じゃなくても経験する、すごくわかる、思い出すだけで苦しい。#AIR感想

今日ここまで…まだ来週末とかに書こうと思います。と言いつつ、美凪とみちるでだいぶ力尽きたし、観鈴と往人、観鈴と晴子の話はどうしようもなくエネルギーを使うので書けるかどうか…しかし本当に良いアニメですね…。 #AIR感想

「頑張らないと」だった。ニュアンスが伝われば台詞ざっくりで書いちゃうけど、観鈴の「遊べる…頑張らないと」「一人でも頑張らないと」という口調は特徴的な気がするので、訂正。観鈴の喋り方とか口癖とか全然好きじゃないんだけど観鈴は観鈴だから…!!!!#AIR感想

AIR、往人と出会った時の観鈴は「不思議で自由奔放な、明らかに放浪の身である男性に何も考えずに話しかける女の子」にしか見えないけど、終盤「そら」を通してほぼ同じシーンが流れて最初はわからなかった観鈴の悲しみと決意が見えた時はかなり衝撃だった。 #AIR感想

風に吹かれて何にも縛られない広い海のように青い空のように立ち風に吹かれている観鈴の姿が、同じ姿なのに、病気に縛られて悲しみの中必死の決意をして心を落ち着かせるために深呼吸をしている姿に変わるの、手法としても凄いし、切なさが膨らんで膨らんで仕方なかった。。。 #AIR感想


またTwitterに書いていきます。
柄にもなく「麻枝准トリビュート」を購入させていただいてしまったので、そちらもちゃんと拝読したいと思います。楽しみ!

AIR感想まとめ①

Twitterに投稿していた、AIRの感想です。

わかりやすい"SKY"で「空」ではなく"AIR"で「空」にしたのは何故だろう、これが物凄く良い題名だったと思う…。空、上、という単語は物語の中でもよく出てくるけど、airの方が物語全体に漂う夏の空気を常に感じるし、上と地上が繋がっているのがよく表されてると思いました。#AIR感想

ふだんアニメそんなに見ないし原作を享受するの大好き人間だからあまり考察もしないし感想なんかは「あーーー!!!!」しか言えなくてヘタクソすぎるからちゃんと書かないけどAIRちょっと今日の夜喋らせてください……観鈴ちん……。 #AIR感想

そもそもAIRは原作ゲームということで、往人が佳乃か美凪の傍にいるという結末がある、ということが信じられない…いや2人が嫌なわけじゃないのだけど2人の傍にいても観鈴は過酷な運命を辿ることに変わりはないんだよね?そうなった時往人は観鈴と関わろうとはしないってこと??#AIR感想

往人の佳乃と美凪への関わり方、ゲーム知らないから言えるのかもしれないけどアニメの関わり方がベストだったのではと思ってしまう。ちゃんと2人とも助けて確かな友情をお互い手に取り合って、その過程で観鈴との絆を深めていったあの形。最後まで見て観鈴に肩入れしてるからかしら…。 #AIR感想

観鈴がメインのターン(全12話の中盤くらいから)になってから2人がほぼ出てきてないのは彼女たちの心の揺らぎとか捕らわれていたものに決着が着いたからということでいいのよね。全12話だったけど完全に佳乃編、美凪編、といった分かれ方してたからそういうものなのか。 #AIR感想

「生まれることが出来なかった子供が一時的にこの世に生を受けて出会いたかった人に会いに行く」という話に似た話、私も書いたことがある(それはある種明かしがあるのですが)のですが、それにしても「これはーー!!これはーーー!!!!」となった…。姉妹…!!!! #AIR感想

そういえば私は「女の子/男の子がいっぱい出てくる!」で話の殆どを説明出来るような話が苦手で、典型的な性格を持ち心情機微も型に嵌ったようなキャラクターを眺めることも気が進まないなので、美少女攻略ゲームや流行りの男子をなんちゃら育成ゲームは全く興味がないのです…なので続 #AIR感想

本来ならみちるは勿論、観鈴も全然好きなキャラクターじゃない、のですが、AIRはその「典型的」になるまでの過程やそんなキャラクターを形作っている心情がとても丁寧に描かれていて共感と好感が持てます。ゲームだと自分の選択でキャラの心情が決まる?のかもですが必要ないくらい。 #AIR感想

「本当のみちるはこの世に生まれることを許されなかったけど…」の重みが、いや聞いたことがあると言えば聞いたことがある展開だけど、それでも何で生まれられなかった子供が「自分は許されなかった存在」だと思わなければならないんだろう!?とショックを受けたし可哀想だった…。#AIR感想

流産により生まれなかった子、堕胎により生まれなかった子、私はどちらに対しても何も出来ないし何かの活動をしようとしたことすらない。ひたすらに「そうか…」と胸を痛めるしか出来ない。生まれなかった子たちは存在することを許されなかったと思っているのかもしれないと思うと苦しい。#AIR感想

「私はあなたがいるから私でいられる」といったフレーズは他物語にも時折出てくるけど、「私はみちるがいるから美凪でいられた」は込められている意味が重かった。家ではみちるとして生きる決心をして(生きざるを得なくて)美凪という自分の忘却に徹してたけど、みちるとの出会いが 続 #AIR感想

自分はやっぱり美凪だと思わせてくれて、名乗れたんだね。みちるがいなければ美凪はもう家以外のどこででもみちるとして存在するしかなくなっていたかも。「あなたがいるから私でいられる」は依存状態の時にも使われると思うけどこの場合は自律と自己肯定のための 続 #AIR感想

「みちるがいるから美凪でいられる」だったのが凄く良かった…。あと「会って慰めたい子がいたから…」という言葉も、みちるも美凪も可哀想で可哀想で。みちるは「生まれることを許されなかった」自分の「せいで」悲しんでいる「おねえちゃん」を慰めたかったわけでしょう!可哀想すぎる。#AIR感想



②に続きます。

10/15 amazarashi 360°LIVE「虚無病」感想まとめ

ツイッターの140字感想まとめです。



「信じるべきは涅槃原則」、クニヨシの言葉が幕張メッセに響く。「2016年10月15日、何らかのメディアから発せられた言葉が虚無病の始まりだったと言われている」といった記録を思い出す。オール新映像、衝撃のセトリのamazarashi 360°LIVE「虚無病」の幕開け。

小説の朗読とアニメーションが始まり、大好きな小説が実写化された気分になる。全編通して、新曲である虚無病とそれとリンクした彼らの物語と今までの傑作が絡み合っていて、amazarashiはいつも空間を作ってくれるけど今回はもはやサーカスのように一つの固体として存在していた。

1.虚無病:新聞風の映像。超格好良い!ド迫力!ダメだ1曲目からこんな感想しか言えない!!雨曝タクシーの広告があったり天気予報が全て雨だったり仕込みがあって楽しい。最もamzrs史上サビの爆発力がある曲なのでは。ナツキたちの物語としても私たちの物語としても聴きこみたい。

2.季節は次々死んでいく:0.6秒ほど映像が無い!と思ったら天井に映し出されていた。この曲は心から美しい。二言に集約していいのかわからないけど、息苦しくなり、救われる。1,2サビの文字の震えが3サビで消えたのはまさに歌詞の意味を表していたのか。季節は次々死に、生き返る。

3.タクシードライバー:こちらも新聞風と、トンネルを前進している演出。今思うと車の演出は最後にとっておいたのか。「開け放って夏の風」がたまらなく好き。「伏し目がちな青年」が新聞の見出しになるようなことが何となく必要な気がした。現実では何かが起こる前のサインを見落としがち。

4.光、再考:イントロで声にならない声が出た。画面いっぱいの「大丈夫」と「光」には救われる思いがした。私たちが幕張で見たのは電子的な光で、いつかは生活の中で自力で光を見つけなければいけないけれど、amazarashiのライブで放たれる光は人生を再考する機会になります。

虚無病、第2章。ヒカル登場。このあたりから3章のあの展開を悲しく思い始める。ヒカルの父親を埋めるシーン、改めて秋田さんの声と映像で向き合うと、あそこだけで一本映画を観たかのように切なくなった。心音を確かめるみたいに。抱っこをせがむ幼子のように。

5.穴を掘っている:読んでいる時、リンクしているなあと思っていたので、おおおやはり来たかと緊張感が走った。親父の言葉だけ表示されて、あとは3人がひたすら穴を掘る。滑稽にも感じる3人の動きは、蔓延する虚無病に踊らされているようにも見える。しかし虚無病などなくても…。

6.吐きそうだ:世界分岐ではやらなかったので鳥肌。インクが滲むような演出。満腹の人間ではなかった3人には、寝起きのコーヒー一杯でも生きる意味は見つからなかったのだろうか。でも「なんて嫌な奴だ」よろしく、自分たちが被害者とばかり思うのも罪のように感じていそうで可哀想だ…。

7.ジュブナイル:現少年少女や元少年少女や心に残る少年少女のもどかしさや恥や罪の意識や後悔を、正誤や善悪は向き合わなければいけないけれども事実としては肯定してくれる曲だと思っているから、リアルタイムでライブに来ている観客を映し出す演出はamzrsの優しさを丸ごと感じた…。

8.ヨクト:曲調は爽やか(妹曰くポカリのCMのよう)なのだけど、天井に映し出される歌詞を見ていると何とも現実的で悲しい曲だなと改めて感じた。「終わり方」が大きくなり、薄くなり、消えていくのが切ない。秋田さんの声だからこそ表現出来る、社会で定義づけられた人間の最小単位だ…。

第3章、サラ、可哀想なサラ。バットで殴られるシーンまで描写されてしまった。最後の話にはなりますがサラの死体は置き去りなんだなあ。どうしようもないよ。そして第3章後4曲は怒涛のサラへの想いセトリ。

9.アノミー:第3章終わりから奏でられ始めたメロディから次にアノミーが来ることがわかり、「救ってよ 救ってよ」が来ると思うと胸が痛かった。生きる理由なんて満腹の人間にだけ与えられる権利なのよと世界の愛を信じていなかったサラ自身の曲でもあり、サラを失った世界の曲でもあった。

10.性善説:ネットニュース風の映像。この曲も本当に名曲だな、と言っていればきりがないのですが。虚無病により善悪の判断を付ける材料も最早善悪すら無い世界をサラは生き死んだけど、それは虚無病が無い世界でも同じだったかもしれない。というかサラの死により性善説が否定された感じ。

11.冷凍睡眠:amzrsの音楽は起承転結があるものが多くこれもその一つなので曲単体で1つの物語だったけど、今回でナツキ(ヒカル)とサラの曲としても成り立つようになったなあ。事実ではないけど心の近さのようだ。2人の抱擁が見られて良かったけど、消失していくサラの姿が切ない。

12.カルマ:まさかライブで聴けるとは!しかしこれも読みながらぴったりだなあ…と思っていたので覚悟はしていた。どうかあの子を救って。第3章後の4曲はひたすらにサラの喪失の悲しみと、善も希望も無いことをサラ自身の死で肯定してしまったことに対する謝罪を歌っているようだった。

第4章、ヒカルが最大級に格好良い。しかしナツキが凡人だからこそ共感出来るので好き。しかし涅槃原則はあの少ない文字数できちんと起承転結をつけ、虚しさを全編に広げながら疾走感を保っているのすごい。秋田さんすごい。

13.逃避行:イントロ鳥肌、聴けるとは!これは読んでいる時に想像していなかったので驚いた。思うとぴったり。「逃げ」というと「負け」を想像しがちだけどこの曲はamzrsの中でもすごく前向き。ナツキとヒカルの逃避行もこれからの前進への一歩だものなあ、明るい道ではなくとも。

14.多数決:相変わらずライブ映えする。今回の映像ではあまり歌詞が映らずその分賛成、反対のインパクトが大きかった覚え。全て多数決で決まり多数が勝つような世界を諦めているような、それだけでは無いのだと言い切るような、しかし自分の立場を常に持てと言われているような気持ちに。

15.夜の歌:聴けると思っていなさすぎてイントロで頭がパンク。逃避行は終えられなくても、夜の中では歩けなくても、朝を待てなくても、夜の中で生きたいと思えていれば十分。改めてこの歌の良さを知る。ライブ後夜空に浮かぶ月が本当に美しくて、「あれが僕の目指す光」と呟いてしまった。

16.つじつま合わせに生まれた僕等:これも鳥肌。渋公で聴いた以来かも。文字の絵としての使い方が芸術だった。MVにしてほしい。理不尽に産み落とされたナツキサラヒカルがそれでももがき懸命に生きた・生きる証のような曲になっていた。「夕焼け」の文字の色が美しくて忘れられない。

第5章、結末は知っているのにナツキとヒカルが逃げきれて安堵。と同時に、サラがそのままだという事実にやっと気づいて悲しくなった。2人もどうしようもないのがわかっていたからサラの言葉を反芻していたのだろう。2人と同様に私も、生きる理由なんてのは、というサラの言葉を噛みしめた。

17.僕が死のうと思ったのは:ひたすらに美しい歌だった。生きることに真面目すぎるから」には気付かされた。amzrsの曲は最終的に「あなた」の存在に助けられていることが多く、私にはそれを求める心が生まれないのが苦しみだけど、でもふと見渡すと「あなた」と呼べる人は多くいる。

(18.スターライト)セトリ表記はありませんでしたが最後はスターライトでした。MCはほぼここの三言のみ。「僕が死のうと思ったのは」で閉幕の気配がしたのでこれで終わりかな…と思っていたところに映し出された「僕らはここにいちゃ駄目だ」には鼻の奥がツンとし心臓が震えました。
(18.スターライト)タクシードライバーのような車が疾走していく映像は、ナツキとヒカルが見ている光景のようでした。この曲の持つ、前進を強要するわけではないのに前に進める気がする解放感と開放感。本当にこの曲をamzrsの曲として生んでくれて良かったと思う。

幕張メッセいっぱいの拍手の中、いつもの終わりの曲は「メーデーメーデー」。18曲+1曲で、amazarashi 360°ライブ「虚無病」は閉幕。名作映画を3本分一気に観た疲労感…という喩えで表せているかわかりませんが、生気を使い生気を得た感覚でした。心から、好きで良かった。

ということでTLでつらつらと虚無病レポ書かせていただきましたamazarashiについてはいつでもどこでもどなたともお話ししたいので、お話しする機会がありましたら是非是非です。2017年もamazarashiのご活躍を楽しみにしています。まずはピクチャーブックが楽しみ。

番外編
360°虚無病で最も衝撃だったのは夜の歌かな。全く聴けると思っておらず。逃避行は物語の流れに自動的に重なるけど、夜の歌は秋田さんの意思、ナツキヒカルサラへの愛により重ねられていて、虚無病キャラクター(つまり現実世界で自分の毎日をどうしようもないと思っている人)への優しさを感じた。

アンソロジー彼女 寄稿小説 「真純」冒頭

 セーラー服の下までじりじりと焼ける。八月も終わりだというのに、内巻きの髪が汗ばんだ首筋に纏わりつく季節は続く。肌に塗ったクリームが落ちる心配は要らない。最近知ったウォータープルーフという科学の成果に感謝する。
 東に向かう電車と環状線を乗り継いで着いたこの駅で、降りたのは私だけだった。駅前でも人はまばらな、都市部に近いとは思えない寂しい町だ。何の店かはわからないが、閉じたシャッターには片目が掠れて消えた女の子のイラストが描かれている。
 生ぬるい風が私の黒髪を揺らす。この町に来るのも、今日が最後。
「まじで使えねえ、死ね」
 改札を抜けていった背広の男が舌打ちと共に言った。その何かもしくは誰かは、彼の努力を水の泡にしたのかもしれない。しかしもしかすると、彼自身にもそれを使えなくする原因や問題があったのかもしれない。
 人間は、自分自身や自分が見ている景色を肯定するために他人を否定する。一人が存在するために生まれた否定は数知れない。判断基準など人それぞれなのだから否定も肯定も自由なのではないかという考えもわかる。でもだからこそ、社会的規範に反していなければ、肯定も否定もされなくていいのではないのか。否定によって存在する肯定なんて、私は肯定したくない。だから私は目的を果たす。
 バス停の側で、チェックのシャツを着た年配の女性がポケットティッシュを抜いては戻しを繰り返しているのが見える。彼女の不可解な行動の意味を、私は知ることはない。彼女は私に肯定も否定もされるべきではない。

 駅から五分ほど歩くと、この町にひっそりと埋もれる喫茶店がある。ドアを開けると、奥の席に座る多田間さんが待ちくたびれたように「来た来た」と言ったのが聞こえた。
 多田間さんとは、私が初めてこの町に来た日に出会った。ここで息子を叱りつけていた彼女は、息子がここを出た後、「おねえさん高校どこかしら? 進学校であればお話聞かせてほしいのだけど」と私に尋ねてきた。背筋が凍るほどの不躾さで、他の受験生を出し抜きたいという魂胆は清々しいほどに丸見えだったが、同時に私はある手応えを感じた。結局私は、八月末まで息子の塾の時間はここにいるという彼女に、高校受験の話をすることになった。時折見かけた彼女の息子は常に疲れた表情だったが、一度だけ目が合った時のバツが悪そうなはにかみは中学生らしかった。
多田間さんは学歴が低いと判断した人に対して、その人生が丸ごと無駄だったと言わんばかりの言いようをする。今日も同じように。
 「夏期講習が終わるから、会えるのも最後ね。そういえばこの前話した塾の厚木くん、うちの息子をライバル視してるくせに親の大学は二流だったの! 親の遺伝子継いでいたら勝手に落ちぶれてくれるかしら」
こんな話を、私は丸二十日ほど聞かされた。確かに学歴は努力の証であり、自分を表す記号でもある。しかし、他人のそれを否定して成り立たせるものではない。
 私は遂に、口を開く。
「『大根』という言葉からわかることを全部仰って下さい」
 多田間さんは「は?」と、化粧っ気のない顔を歪めた。学歴の低そうな反応だなと言いそうになる。
「野菜、お味噌汁に使う、白い、あと根菜、かしら」
 根菜、に満足感を含ませて、多田間さんは返事をした。
「それでは大根という言葉を聞いて、その味や新鮮さ、育った環境はわかりますか?」
何世代か前のクーラーの、ごうんごうんという音だけが喫茶店に響く。私は行儀良く膝の上に手を置いて、彼女を出来るだけ優しく見る。
「わからないに決まっているじゃない」
「そうですよね。瑞々しさや重さ、育ち方、名前だけではわからないことがたくさんある」
「何を言ってるの」
「確かに学歴は社会における基準の一つです。でもそれを絶対の判断基準とし、それにより他人を否定するのは恥ずかしいです」
 多田間さんはカッと表情を歪ませた。
「小娘に何がわかんのよ!」
 自身の息子に「二流以下に行くと社会でバカを笑えないわ」と言っていたのと同じ声で、彼女は私を小娘と罵った。
「自分の肯定は何も悪いことではないです。ただそのために他人を否定する必要はない。他人を否定して肯定を手に入れたって、それが間違っていることだってあるのだから」
 私は右手を上げ、下げる。そして咳払いを一つした。
「さようなら。息子さん、笑うとかわいいのに」
 多田間さんの歪んだ顔の、目と口がゆっくり大きく開く。






「早いじゃん。今日も可愛いしスタイル良いね」
駅前の牛丼屋の前に立っているのは、二週間前に私をナンパして来た男だ。






※実際には縦書き2段の小説となっております。
※こちらがおおよそ本編の1/10の量です。
※数冊私が持っておりますので、ご興味を持っていただけた方は是非お問い合わせください!

ハピネス3巻 押見修造

押見修造さんの作品は、読むのを躊躇するのだけれど、でもやはりすごい。
ずいぶん前に読んだから覚えてないものや途中までのものもあるけれど、
あの繊細な線で人間の大胆な感情の揺れや振れ幅を表す作風はどの作品にも共通していて、胸をざわつかせながら読む。
押切蓮介さんと押見修造さんの押押コンビ(?)の作品はどうにもクセになる。

そんな押見さんの最新連載作「ハピネス」。ちなみに「ぼくは麻理のなか」は読めていない。
もう押見さんで「ハピネス」と来たらわかるとは思いますが予感の通り全然ハッピーじゃないです!
どうしてハピネスという題名なのか、どうしたらハッピーになるのか、気になるところ。

あらすじとしては、いじめられっこの岡崎誠くんが、ある日謎の少女に襲われて血を求める体になってしまう。
その血への渇きと衝動と同時に手に入れたのは人間離れした身体能力。
それに任せて、誠は自分をパシリにしていた同級生・勇樹の顔面を殴る。
その後誠は五所さんという孤立した別のクラスの女の子と知合ったり、
今度は勇樹がチンピラグループの先輩からいじめられているところを超人的な跳躍、もはや飛行で助けたりする。
そこまでが1巻。
2巻では「誠と同じだけど誠を殺そうとする少年」や誠を襲った謎の少女が出現。そして勇樹、菜緒、五所さんとの関係も変わっていく。
血への渇望の描写と夜空の描写はこちらまで頭がぐらぐらしそうなものになっています。

そして3巻!3巻なのですが、「こうなると面白いなあ」と思っていた展開になってきて超面白いです。
展開の中心人物はそう、勇樹くん。
学年に一人はいるイケメンだけどチャラい雰囲気のいじめっこだった勇樹くん。
彼もまた、突然降ってきた運命と、幼い頃から積み上げられてきた運命により……。
いじめるいじめられるの関係がだんだんと変化してきて友情になってきて、と段階を踏んでいたと思っていたら、
いきなり猛スピードで人の道を外れ転がり落ちる勇樹くん、自分にとって唯一の救いが今までいじめていた岡崎となり縋る彼の眼!!
その眼を見る誠くんの目!!
3巻の終盤は「いやいやこんなドンピシャな話はないない」と最初からあきらめるような言葉や場面が詰まっていてちょっとよくわからないです。

載せたい画像いっぱいあるのだけど全部ネタバレになるからあかん……。
誠と勇樹だけでなく、誠と五所さん、勇樹と菜緒、誠と謎の少女、謎の少女と謎の少年等々、
見ていたい関係性がたくさんあります!

4巻が読みたくて渇く。

「助けて」「もういい……もう十分だ」②

「もういい……もう十分だ」
沢木が俺の美術課題をこねくりまわしている間、俺の筋肉は何故か発熱した時のように硬直し痛んでいた。
長い隣の席に座ったままこちらに体を乗り出して、沢木は俺の作った芸術品に手を伸ばしている。
「いやいや会長が『そんなにこれをカバだと言うならコレより完璧な犬を作ってみろ』と言った……仰ったんじゃないですか」
俺は自分が作った芸術品に勝手に手を加えられたことに自分が思っているより腹が立っていたのか、心臓がぐるぐると回転するように熱くなっていた。先ほどの筋肉の硬直も腹立ちゆえだったのかもしれない。
そうして俺の作った“主人を待つ犬”を見ると、元と何も変わっていなかった。
「あれ」
俺のつぶやきの意図がわかったのか、沢木が俺の前方の机にもたれかかったまま、俺を見上げた。
この角度から沢木に見られたのは初めてで、「だって」と不服そうな表情だったために唇を少し突き出していて、それも初めて見た。
「会長、勝手に崩したら絶対怒るじゃないですか」
俺のことをわかっているのか、と思うと、顔の筋肉だけ何故か弛緩した。
「でも私は好きですよ」
今度はズキンと頭が痛んだ。何故か頭に血が昇ったらしい。
「会長のカバ」
手足が痺れる。
何だどうした今日の俺の体は。
普段わからないことはないのに、今日は「何故か」ばかりだ。
沢木以外の誰か、助けて!






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拙いですが、かとうさんへのお誕生日プレゼントとして、
「助けて」「もういい……もう十分だ」を入れる掌編(これと前の記事のもの)を書かせていただきました。
(どちらもA5 1枚に手を止めずに書くいつものスタイルでした)
お誕生日プレゼントなのにこんなところに書いてしまってすみません!
かとうさん、お誕生日おめでとうございます&さよハヰ上巻おめでとうございます!!

「助けて」「もういい……もう十分だ」①

拝島は本当によく耐えた。
少年から青年となり大人となるまで、殴りも蹴りもせず拝島は生きた。
でも今日、解放されるのだ。拝島は手放すのだ。呪縛を、血筋を。
「萱間……助けて」
拝島はほとんど泣きかけて俺を見た。
「助けて」
俺は拝島ほど美しい黒髪を持つ男を見たことがない。
今だって、夕日になり始めた太陽の光の波が、その髪の美しさをいっそう際立たせている。
拝島はまた言う。
「助けて、殺してしまう」
どこからか手に入れた銃を拝島は、腰を抜かした父親に突き付けている。
その父親は情けないほどわなわなと震えていた。
俺がこいつの息子だったら、自分を苦しめて来た男がこんなに小さくなっている姿を見たかっただろうか。見たくなかっただろうか。
「萱間、俺、ああ、助けて、俺は」
拝島はずっと俺に助けを求めている。
銃は誰かが与えたのだろうか。自分で入手したのだろうか。
何にしろこうなるまで拝島は俺に助けを求めなかったのだ。ここまで自分で来たのだ。
「拝島。もういい……もう十分だ」
もう十分頑張った。引き金を引け、拝島。








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拙いですが、かとうさんへのお誕生日プレゼントとして、
「助けて」「もういい……もう十分だ」を入れる掌編(これと次の記事のもの)を書かせていただきました。
(どちらもA5 1枚に手を止めずに書くいつものスタイルでした)
お誕生日プレゼントなのにこんなところに書いてしまってすみません!
かとうさん、お誕生日おめでとうございます&さよハヰ上巻おめでとうございます!!

僕のリヴァ・る (前編:演劇というエンターテインメントについて)

「僕のリヴァ・る」を観ました。
私は「演劇」を観た、と確信しました。

私は映画や小説を通して「俳優が演じている/作家に作られているキャラクター」を見ているのではなく、「ただそこにいる人間」を見ています。つまりは、ただこの世(時折この世ではない世界の時もある)に存在している人間の人生を覗いていると思わせてくれるような作品が好きです。
一方舞台とは、「俳優が演じている」という感覚が最も強い創作物だと思います。「『この世に存在しているあの俳優』が『あの俳優とは違う人間』を自分に重ねてキャラクターを作っている」という現象が舞台上で展開されている事実が生々しく伝わってくるエンターテインメントだと。
だからなのか、私は今まであまり舞台を観に行きたいとは思って来ませんでした。
演じられている劇を生で感じるより、スクリーン越しや紙の向こうで自然と存在しているように思える物語を見ている方を好んでいたのです。

それが、「魚のいない水槽」で目と鼻の先で観て、舞台上でも「俳優が演じているのではなくただそこに存在する他人の人生」が生で感じられることを知りました。
(その後「僕のリヴァ・る」演出でもある鈴木勝秀さんの「魔王 JUVENIELE REMIX」も観たのですがこの作品はちょっと別のところに置いておくことにします。)
「高瀬舟・山椒太夫」で、紙の向こうに存在していた人間の人生が舞台上で再現される可能性を知りました。

そして今回、「僕のリヴァ・る」によって、「『この世に存在しているあの俳優』が『あの俳優とは違う人間』を重ねている」という現象に対して、なんと面白いことか!と自分の心が躍ったことを知りました。
私の目の前にあったのは確かに演じられている劇でしたが、それのなんと、面白いことか。

「僕のリヴァ・る」は三部作で、オリジナル脚本の「はじめてのおとうと」、ゴッホとテオ兄弟を描いた三好十郎の戯曲「炎の人」、シュニッツラーの小説「盲目のジェロニモとその兄」が20分~35分ほどで次々に演じられていきました。
つまりは一つ前の話では違う役をやっていた俳優が新たな役を演じるという、まさに私があまり積極的には感じてこなかった「俳優が自分とは違う人間を自分に重ねてキャラクターを作っている」という感覚をいわば強要されるわけなのですが、それがとても、幼稚な言い方にはなりますが、ワクワクしたし面白かったのです。
俳優本人という軸はぶれず、あらゆる人間が重なっていく。
俳優が自ら重ねて行っている。演じているし、演じられている。
もちろん映画俳優でも、前の映画と全然違う役をしていて感動することはあるけれども、観終わったあとに気が付くことが多かったです。リアルタイムで物語を見ている最中に、「演じられている!演じている!」という感覚を面白く思ったのは、覚えている限りは初めてでした。

「僕のリヴァ・る」一つ一つの感想はまた改めて書くとして。
今回は、初めて演劇という現象を面白いと思ったということ自体が興味深い現象だったことを記しておきます。

“薄暗い影に待たせた友人のひどくゆるんでいる靴下の/田島千捺”

「よう……」
最初の一言を何と言おうか考えあぐねているうちについてしまった。
よりにもよって街灯が当たっておらず、塾から漏れる明かりも当たっていない薄暗い場所に立っていたヒイカは、「あっ」と怯えたような声を出して持っていたケータイから顔を上げた。
それが幼馴染に向かって出す声かよ、と内心でヒイカを蹴った。
「ご……ごめん」
謝ったのち、ヒイカは黙って俯いてしまった。
「いや、謝られても」
俺は引き攣った笑いを浮かべるしかなく、沸々と湧き出る怒りを抑えるため、ヒイカと同じように俯く。
何なのこいつ自分から田上くんが好きですって呼び出しておいて最初に謝る?さっさと用件言えよ俺はお前の都合に合わせて動けるほど暇じゃねーんだっての今だって自分の塾が終わってからわざわざ来てやってんだトロトロすんなと叫びたい気持ちを堪える。

ヒイカのソックスが片方、ゴムが全て抜けたみたいにゆるゆると靴まで落ちているのが見えた。
俺はこの女のこういうところが大嫌いなのであった。

呼び出したのはヒイカだが待たせたのは俺だ、この場合どちらがこの場の主導権を握るべきだろうと考えトロトロしているヒイカを引っ張ってやろうかと思ったが呼び出した方が話を進めるべきに決まっているだろクソ女。
俺はお前の駒じゃねえんだぞ。
友達……友達だろう。

「わ、私、田上くんが好きなの」
駒じゃねえんだ。

「だから、西森くん、協力してくれる……?」
俺は、この幼馴染が、この友達が、この女が、大嫌いだ。




“薄暗い影に待たせた友人のひどくゆるんでいる靴下の/田島千捺”
田島千捺さんが詠まれた短歌を解凍させていただきました。
光景が浮かぶままに10分くらいで書いたものです。
田島さん、ありがとうございました!

“ハンガーの軋んだ音の揺らぎきて屋根一群に雪ふりつもる/田島千捺”

「今の何?」
眠っていたのではなかったのか、とベッドを見やると、君はすうと寝息をたてて目を瞑っていた。
やはり眠っていたのかと安心し、ギシッと家が揺れた音に本能的に目を覚まし反射的に口走っただけだったのだなと思う。
俺は自分がものを書いているところを見られるのが嫌い、というか単に恥ずかしいので、出来ればあと3時間は眠っていてほしい。
深夜3時。先程の家の軋みは昨夜の20時ほどから降り出した雪によるものだろうか。かけてあるハンガーが揺れている。
この家もそろそろ危ない、老朽化が進んでいる。
俺がどこかに行ったら、君はこんなにぼろぼろでもこの家に住むだろうか。オマエが住んでいるこの家に住みたいと日ごろ言う君は、住んでいるかのように毎日来るくせに、毎日きちんと帰っていく。
今日は珍しい。酔って動けなくなってしまうことなど殆ど無い、というより今まで皆無だったのに。何かあったのだろうか。訊ねた方がいいのだろうか。

君は俺を待っているのか?
俺の何を待っているんだ?

窓を開ける勇気はなかった。イギリスの冬は寒い。
カーテンを開けると、どこの家の屋根も雪が降り積もり、白くこんもりとした帽子をかぶっているようだった。
君が何か声を漏らす。
俺が君を置いていった方が、君は嬉しいか?

考えがまとまらないから、少なくとも今日は、朝までおやすみ。



“ハンガーの軋んだ音の揺らぎきて屋根一群に雪ふりつもる/田島千捺”
田島千捺さんが詠まれた短歌を解凍させていただきました。
光景が浮かぶままに10分くらいで書いたものです。
田島さん、ありがとうございました!

2016年

明けましておめでとうございます!
本年もどうかよろしくお願いいたします。

本年は書いたものを公開する場もいくつか決まっているので、更にみなさんに楽しんでいただけるようしっかり書いていきたいと思います(公開を課すために昨年のうちにアンソロジー参加に手を挙げておきました。参加させていただけるのはとてもありがたいことです。精進します)。

本年も相変わらず、
邦楽ロックが好きで、漫画が好きで、小説が好きで、ドストエフ好きーといえないドストエフ好きーで、クウガがヒーローで、死にそうだったり生きたかったりすると思いますが、てきとうにお付き合いいただけると幸いです。

そして、外に出ると体調がよくなるとか心が躍るとかそういう人種とはほど遠いですが、
遊んでいただけると嬉しいです!!

それではそれでは、また。

2015年

本年も大変お世話になりました。
2015年も生きました。
今年は自分が書いたものが本になるという素晴らしい経験をさせていただきました。
物書きについては、また近々、2015年のことを振り返りつつ2016年のことについて書きたいと思います。

以下、何も考えずに書きます。

今年は特に何かを深く考えた年というわけではなかったけれど、遂に前向きに生きられそうになった矢先に、だったので、
今までで一番殺意と共に生きた年だったと思います(年の瀬ぎりぎりに物騒な笑)。
つまり今年も、とても楽しくても内臓のどこかに鉛がある毎日を過ごしてきました。
私の人間性がこういうものだと知っている人はあまりおらず、自分で言うのはなんですが明るい人間だと思われていそうな気がします。
今年から仲良くなった男の子に「世間知らずなお嬢様っぽいよね」と言われたことがあり、その子がデリカシーのないことを言うのはいつものことなのでウエェと思いながらもはいはいと思っていたのですが、段々と「これは私の勝利なのでは?」と思えてきました。
何も重くなく毎日楽しく過ごしている人間だと思わせることが出来ていることは大勝利なのでは。
しかし2015年も終わりに差し掛かったころ人生でほぼ初めてぐしゃぐしゃが露呈し始めてしまいおそらく限界なのだろうと思いました。
でも露呈しても良いことはありませんでした、別に認めてもらえなかったとか否定されたとかではなく、自分が楽にはならなかったそれだけです。
だからもう鉛とともに生きていこうと決めました。
こうして生きていこうと思いました。
何故「生きていこう」と思いながら生きていくことになったのだろうと思うと空しい気もします。こんな風になってしまい、しかもそれが自分の中で完結しているのだから、世界は何も変わらない。別に変えたいとか変われとか思わないけれど。

と言いながら、今年下期に変な人に絡まれる事件があったのですが、その時に「大人が助けてくれる」という現象がありその温かさに驚きました。
誰かが助けてくれるということもあるのだな。
それはおそらく、今まで求めずにも助けてくれる人が周りにいたということでもあるのだと思います。
でも暮らしや仕事の部分ではなく、精神的なところを他者が助けてくれるという現象があるのだということを自覚したのは初めてでした。
でも、思い返してみると、きっと高校や大学の友達や物書き仲間さんがいなければ私はとっくに死んでいたと思うし、妹も母も好きなので、生きているのはきっと誰かに助けられてきたからなのだと思います。

私は自分が好きなものは本当に好きだし、自分が好きなものを好きになった自分には感謝しているので、
これからも自分が好きなものに生かされていくと思います。
自分が好きなものに出会えた生活はこの人生しかないかもしれないから、その点では人生を大事にしたいと思います。

過去のこと最近のこと、楽しいこともたくさんあった。
未来のこと、たぶん楽しいことがたくさんある。
私は結局生かされているし、贅沢にも死んだら悲しんでくれる人もいる。

自分のことを書くのは恥ずかしいことです。
自分の鉛を吐き出すのは甘えのようだと思います。
でも今年はこんな年でした。
こうして生きた年でした。
いつものことでした。
でも、鉛を飲みながらも、楽しいこともたくさんありました。
来年も楽しいことがたくさんあります。
それを楽しんでいればいいのです。
いつか鉛がごろりと出てくるか、どろりと出てくるか、その日まで生きるのです。
その日からも、また、生きるのです。

2016年も生きます。

2015年12月12日

青空を見ていられなくて、目を瞑って歩いた。
それでも青空が好きなのだった。人並みに小さな晴れやかさを好きでいる。

期待をしないでほしい。
たまに自分の愚かしさを知ってほしいと思うのは、心配してほしいからではない。
明るい人間でいてくれるだろうという期待をしないでほしいただそれだけ。

明日には地球が爆発して全員死ぬかもしれない。
明日には自分がホームに転落して全員死ぬかもしれない。
どちらを夢想するかによって明日は変わるのか。

夜が怖くて泣いてしまう時より、朝が苦しくて泣いてしまう時の方が、崩落しそうなのだろうか。
朝なんて来なくていいとも思わないが、来たとしても嬉しいわけではない。
ただ朝のことは好きなのだ。
朝には何の罪もない。
朝よずっと続いて。朝よ人々に幸せをもたらして。朝よ世界に平和を。

平和も幸せもよくわからない。
もしかすると持っているのかもしれない。
もしかすると持っていないのかれない。
もしかすると手に入れられたのかもしれない。
手に入れたいとも思わない。
でも手放したくもない。
これからも生きていくとして、どこかで触れられたら、いつかは。

プロフィール

えるれ

Author:えるれ
好きなサイボーグは004です。

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