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2016年

明けましておめでとうございます!
本年もどうかよろしくお願いいたします。

本年は書いたものを公開する場もいくつか決まっているので、更にみなさんに楽しんでいただけるようしっかり書いていきたいと思います(公開を課すために昨年のうちにアンソロジー参加に手を挙げておきました。参加させていただけるのはとてもありがたいことです。精進します)。

本年も相変わらず、
邦楽ロックが好きで、漫画が好きで、小説が好きで、ドストエフ好きーといえないドストエフ好きーで、クウガがヒーローで、死にそうだったり生きたかったりすると思いますが、てきとうにお付き合いいただけると幸いです。

そして、外に出ると体調がよくなるとか心が躍るとかそういう人種とはほど遠いですが、
遊んでいただけると嬉しいです!!

それではそれでは、また。
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2015年

本年も大変お世話になりました。
2015年も生きました。
今年は自分が書いたものが本になるという素晴らしい経験をさせていただきました。
物書きについては、また近々、2015年のことを振り返りつつ2016年のことについて書きたいと思います。

以下、何も考えずに書きます。

今年は特に何かを深く考えた年というわけではなかったけれど、遂に前向きに生きられそうになった矢先に、だったので、
今までで一番殺意と共に生きた年だったと思います(年の瀬ぎりぎりに物騒な笑)。
つまり今年も、とても楽しくても内臓のどこかに鉛がある毎日を過ごしてきました。
私の人間性がこういうものだと知っている人はあまりおらず、自分で言うのはなんですが明るい人間だと思われていそうな気がします。
今年から仲良くなった男の子に「世間知らずなお嬢様っぽいよね」と言われたことがあり、その子がデリカシーのないことを言うのはいつものことなのでウエェと思いながらもはいはいと思っていたのですが、段々と「これは私の勝利なのでは?」と思えてきました。
何も重くなく毎日楽しく過ごしている人間だと思わせることが出来ていることは大勝利なのでは。
しかし2015年も終わりに差し掛かったころ人生でほぼ初めてぐしゃぐしゃが露呈し始めてしまいおそらく限界なのだろうと思いました。
でも露呈しても良いことはありませんでした、別に認めてもらえなかったとか否定されたとかではなく、自分が楽にはならなかったそれだけです。
だからもう鉛とともに生きていこうと決めました。
こうして生きていこうと思いました。
何故「生きていこう」と思いながら生きていくことになったのだろうと思うと空しい気もします。こんな風になってしまい、しかもそれが自分の中で完結しているのだから、世界は何も変わらない。別に変えたいとか変われとか思わないけれど。

と言いながら、今年下期に変な人に絡まれる事件があったのですが、その時に「大人が助けてくれる」という現象がありその温かさに驚きました。
誰かが助けてくれるということもあるのだな。
それはおそらく、今まで求めずにも助けてくれる人が周りにいたということでもあるのだと思います。
でも暮らしや仕事の部分ではなく、精神的なところを他者が助けてくれるという現象があるのだということを自覚したのは初めてでした。
でも、思い返してみると、きっと高校や大学の友達や物書き仲間さんがいなければ私はとっくに死んでいたと思うし、妹も母も好きなので、生きているのはきっと誰かに助けられてきたからなのだと思います。

私は自分が好きなものは本当に好きだし、自分が好きなものを好きになった自分には感謝しているので、
これからも自分が好きなものに生かされていくと思います。
自分が好きなものに出会えた生活はこの人生しかないかもしれないから、その点では人生を大事にしたいと思います。

過去のこと最近のこと、楽しいこともたくさんあった。
未来のこと、たぶん楽しいことがたくさんある。
私は結局生かされているし、贅沢にも死んだら悲しんでくれる人もいる。

自分のことを書くのは恥ずかしいことです。
自分の鉛を吐き出すのは甘えのようだと思います。
でも今年はこんな年でした。
こうして生きた年でした。
いつものことでした。
でも、鉛を飲みながらも、楽しいこともたくさんありました。
来年も楽しいことがたくさんあります。
それを楽しんでいればいいのです。
いつか鉛がごろりと出てくるか、どろりと出てくるか、その日まで生きるのです。
その日からも、また、生きるのです。

2016年も生きます。

2015年12月12日

青空を見ていられなくて、目を瞑って歩いた。
それでも青空が好きなのだった。人並みに小さな晴れやかさを好きでいる。

期待をしないでほしい。
たまに自分の愚かしさを知ってほしいと思うのは、心配してほしいからではない。
明るい人間でいてくれるだろうという期待をしないでほしいただそれだけ。

明日には地球が爆発して全員死ぬかもしれない。
明日には自分がホームに転落して全員死ぬかもしれない。
どちらを夢想するかによって明日は変わるのか。

夜が怖くて泣いてしまう時より、朝が苦しくて泣いてしまう時の方が、崩落しそうなのだろうか。
朝なんて来なくていいとも思わないが、来たとしても嬉しいわけではない。
ただ朝のことは好きなのだ。
朝には何の罪もない。
朝よずっと続いて。朝よ人々に幸せをもたらして。朝よ世界に平和を。

平和も幸せもよくわからない。
もしかすると持っているのかもしれない。
もしかすると持っていないのかれない。
もしかすると手に入れられたのかもしれない。
手に入れたいとも思わない。
でも手放したくもない。
これからも生きていくとして、どこかで触れられたら、いつかは。

恋愛にも肉体関係にもしなくていい関係

キャラクターとして二者を書く時、それが一時創作であれ二次創作であれ、私が最も賛同しかねるのは「記号化」である。
特に二次創作の「BL」において記号化の例が多々見られる気がする(私はBLを好みはしないので、偶然見たものや、流れてくるもの、検索したら否応なしに出てくるものを元に言う)。
例えば大衆的かつ話題性のあるパターンに落とし込むためだけに原作の心情を無視させられているキャラクターや、性行為のシーンを書くためだけに体を使われるキャラクターは作者の欲求を満たすためもしくは二次創作商売で儲けるための記号になってしまっているのではないか。
「その子のそういうシーンが見たい」という欲求を抱くのは仕方ないとは思うのだが、漫画の名前でイラストを検索するなどして見てみると「そういうシーンのその子が見たい」が主題になっているのも多々見受けられるし(微妙にニュアンスが違う)、「原作におけるその子が好き」ならもう一歩踏み込んで「原作を俯瞰してみるとこの子はこういうことをしている暇があったらこっちの活動をもっと一生懸命やる」「この子とこの子には友情以上の関係があるが恋愛ではない」「恋愛にも近いかもしれないが肉体関係は無い」など判断が付きそうな気もする。
そこを恋愛ありきや肉体関係ありきにしてしまうのはやはり「BLは架空のもの」だという認識が強いから作者が好きに左右させていいと思っているのだろうか。原作から離れたファンタジーだから、BLというジャンルに入れた時点で架空の物語(原作)においても架空(二次創作)になるわけだから、原作を重視しなくていいと思っているということだろうか。
原作にとってはBLはファンタジーだけど現実にとってはBLは同性愛という当然の現象。
作者のエゴでキャラクターを記号にするのはキャラクターと原作の世界に申し訳ないだけでなく、実際に同性を好きになる人を傷つける可能性を含んでいるのでは。
二次創作の場合、それにおいてキャラクターの個性や心情は原作から離れてはいけないと思うし、現実にどこかで心を痛める人もいるかもしれない。
これもまた私のエゴにしても。
それにしても、恋愛と肉体関係にしなくていい関係が無視されすぎている。

眠いので何を書いているかわからないですが、要するに、
何でもかんでもくっつけてんじゃねえ!!ということです。

不幸せとは

或る窓辺の話。

彼は彼を不幸だと思ったことは無かった。
不幸だというには、親戚に嫌な人はいないし、きょうだいとは仲が良いし、友達もいるし、経済的に困ったこともない。
それなのに、数日に1回は絶望せざるをえないし、友達とは本当に友達なのだろうかと要らない思考を巡らせるし、経済的に困る日を恐れている。
楽しく生きるのは難しい。
ネガティブとかポジティブとか関係なく、どうしようもない憂鬱が襲ってくるのは本当にどうしようもない。
彼は一日の半分を憂鬱と戦うことで終わらせることもある。
鬱病ではないかと恐れたことはない。鬱病の人に失礼だから。
病名が欲しいと思ったことはある。でもこれも病名を持つ人に失礼。
なのに彼は、人には、明るくていつも元気だと思われていればいい、と思っている。
勝手に笑うし、勝手に頷く。
面倒だった。何でこの人憂鬱なんだとか、何があったのとか、何もないのとか、踏み込まれることが。
いつか誰かに踏み込んでほしいと思いながらも、結局何も良いことはないとわかっている。
どうにもならないのはわかっているからもうどうでもいいや。
彼は諦めかけていた。
そんな諦めを他の人にはしてほしくないから、彼は人の話を聞く。
自分のことはどうでもいいからあなたの話を。
あなたが辛いなら出来るだけ掬い上げる努力をするから。
ただの驕りと言われればそうだ。
どうせ力にはなれないし、本当に助かってほしいと思っているかすら自分にはわからないのだから。
それもこれもどうでもいい。
それでも彼の毎日は楽しくない、ことはない。
おそらく楽しい方だとは思う。
現実を共有する友達がたくさんいた。本当にありがたいこと。
そこに物語を共有する友達が出来たのも本当にありがたいこと。
何故楽しくないことはないかというと、彼はまだ諦めかけているだけで、
諦めてはいないからだった。
諦めた時何が起こるのかはよくわからない。
自分が死ぬのか誰かを殺すのか、諦めたまま生きるのか。
希望を持つとか心から楽しく生きるとか、そういうことは難しくても、
諦めかけたまま生き続けて、少しずつ人生が楽しくなればいいな、と彼は思う。
楽しくなることと楽しいと思えることはまた別なのだけれど。

自分の人生が楽しいか楽しくないかもよくわからないまま、彼は今日もご飯を食べる。
美味しい、と感じる。
プロフィール

えるれ

Author:えるれ
好きなサイボーグは004です。

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