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不幸せとは

或る窓辺の話。

彼は彼を不幸だと思ったことは無かった。
不幸だというには、親戚に嫌な人はいないし、きょうだいとは仲が良いし、友達もいるし、経済的に困ったこともない。
それなのに、数日に1回は絶望せざるをえないし、友達とは本当に友達なのだろうかと要らない思考を巡らせるし、経済的に困る日を恐れている。
楽しく生きるのは難しい。
ネガティブとかポジティブとか関係なく、どうしようもない憂鬱が襲ってくるのは本当にどうしようもない。
彼は一日の半分を憂鬱と戦うことで終わらせることもある。
鬱病ではないかと恐れたことはない。鬱病の人に失礼だから。
病名が欲しいと思ったことはある。でもこれも病名を持つ人に失礼。
なのに彼は、人には、明るくていつも元気だと思われていればいい、と思っている。
勝手に笑うし、勝手に頷く。
面倒だった。何でこの人憂鬱なんだとか、何があったのとか、何もないのとか、踏み込まれることが。
いつか誰かに踏み込んでほしいと思いながらも、結局何も良いことはないとわかっている。
どうにもならないのはわかっているからもうどうでもいいや。
彼は諦めかけていた。
そんな諦めを他の人にはしてほしくないから、彼は人の話を聞く。
自分のことはどうでもいいからあなたの話を。
あなたが辛いなら出来るだけ掬い上げる努力をするから。
ただの驕りと言われればそうだ。
どうせ力にはなれないし、本当に助かってほしいと思っているかすら自分にはわからないのだから。
それもこれもどうでもいい。
それでも彼の毎日は楽しくない、ことはない。
おそらく楽しい方だとは思う。
現実を共有する友達がたくさんいた。本当にありがたいこと。
そこに物語を共有する友達が出来たのも本当にありがたいこと。
何故楽しくないことはないかというと、彼はまだ諦めかけているだけで、
諦めてはいないからだった。
諦めた時何が起こるのかはよくわからない。
自分が死ぬのか誰かを殺すのか、諦めたまま生きるのか。
希望を持つとか心から楽しく生きるとか、そういうことは難しくても、
諦めかけたまま生き続けて、少しずつ人生が楽しくなればいいな、と彼は思う。
楽しくなることと楽しいと思えることはまた別なのだけれど。

自分の人生が楽しいか楽しくないかもよくわからないまま、彼は今日もご飯を食べる。
美味しい、と感じる。
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幸せとは

この土日、信じられないほどのんびりしています。
のんびりしすぎて体が疲れてきたくらいです。

今週はシルバーウィーク。
土日のんびりしすぎても、あと3日も休みがある贅沢さ。
あと3日あるから油断してのんびりしているのですが。

この2日間でやったことといえば、チェンジリングの小説を書いて、音楽DVDを見て、海外ドラマを見たくらい。
普段の土日は、ありがたいことにどちらかには予定が入っており出かけているので、
こういう休日もありでしょう。

今日は昼ごはんにパンを買いに行きました。
外に出ないと落ち着かないというタイプでは全くないため、
パンを買いに行くためだけに外に出るなんて基本的にはもってのほかなのですが、
今日はパンが食べたかったんですよね。
イヤホンもつけずに外に出たら、秋晴れで、いつか嗅いだことのあるような匂いがしました。

読み物を読んだり、音楽を聴いたりした後に外に出ると、
少しだけ世界が大事に思えます。そこから何か生み出したくなります。
大げさな言い方だけれど、今、「あの感覚はどういえばいいのだろう?」と考えたら、
こんな言い方になってしまいました。
そして、「もしかしてこの感覚、幸せ?」と、家を出る時思いました。
幸せなんて中々思わないし感じないけれど、
というかおそらく幸せな時も多いのだけれど私が認識していなかったり懐疑的になったりしているので、
幸せというのはこういう感覚なのかと思ったのは、貴重な経験でした。

私は幸せになれるのかなあ。
恵まれているのかなあ。
なかなか不幸せなことに見舞われている人生だけれど、
幸せってこういうどうでもいい時に感じられるのかもしれないですね。

知らんけど。

9月1日 特異日

9月1日は自殺特異日だという。
死ぬか学校に行くかだったら、死ぬ方が。
死ぬくらいだったら学校に行かなくてよかったのに、というのはだいたい全て終わってしまってからの台詞。
学校で起こることは、大人にとっては回避できそうなことでも、子どもにとっては世界で起きている戦争みたいなものだと思う。
子どもにとって世界のほとんどは学校で、だからこそ世界は学校だけじゃないんだよと大人が教えてあげなければいけない。

でも大人は、子どもの世界について疎いことが多い。
過剰に目を光らせれば、それが子どもを追い詰めることもある。
バランスをとることは難しい。
努力が要る。子どもでいることにも、大人でいることにも、努力が要る。


おこがましくも救おうとしたことがある。
おそらく何の力にもなれなかったけれど。
元気にしているだろうか。
あの時はごめんね。

本当は生きたかった子どもが死ぬ度、思ってしまう。
社会の害悪とか、人を傷つける奴とか、心を踏みにじる奴とか、そういうものが死ぬべきだったのではないかと。
あいつとか、あいつとか。
そんな金貸しの老婆を殺した青年みたいな考えの私が何か言えるのかと言われれば、
何も言えないのかもしれないけれど、でも出来るだけ、子どもには生きていてほしいなあ。

不幸せと幸せの海底

毎年夏に参加させていただいている創作企画に出した短編です。
今年で4年目。
今回は推敲するより、彼への憑依を優先させました。
そうしたら彼が結末を、私が当初考えていたものから変えたので、そっちを選んだんだね、と。
ちなみに1年目に出したのは、チェンジリングに出している「ひりひり煌めく惨めなふたり」でした。

不幸せと幸せの海底

他の作品も、夏という季節と、各自出しあったお題をふんだんに生かした作品ばかりだと思います。
是非!
プロフィール

えるれ

Author:えるれ
好きなサイボーグは004です。

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