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アンソロジー彼女 寄稿小説 「真純」冒頭

 セーラー服の下までじりじりと焼ける。八月も終わりだというのに、内巻きの髪が汗ばんだ首筋に纏わりつく季節は続く。肌に塗ったクリームが落ちる心配は要らない。最近知ったウォータープルーフという科学の成果に感謝する。
 東に向かう電車と環状線を乗り継いで着いたこの駅で、降りたのは私だけだった。駅前でも人はまばらな、都市部に近いとは思えない寂しい町だ。何の店かはわからないが、閉じたシャッターには片目が掠れて消えた女の子のイラストが描かれている。
 生ぬるい風が私の黒髪を揺らす。この町に来るのも、今日が最後。
「まじで使えねえ、死ね」
 改札を抜けていった背広の男が舌打ちと共に言った。その何かもしくは誰かは、彼の努力を水の泡にしたのかもしれない。しかしもしかすると、彼自身にもそれを使えなくする原因や問題があったのかもしれない。
 人間は、自分自身や自分が見ている景色を肯定するために他人を否定する。一人が存在するために生まれた否定は数知れない。判断基準など人それぞれなのだから否定も肯定も自由なのではないかという考えもわかる。でもだからこそ、社会的規範に反していなければ、肯定も否定もされなくていいのではないのか。否定によって存在する肯定なんて、私は肯定したくない。だから私は目的を果たす。
 バス停の側で、チェックのシャツを着た年配の女性がポケットティッシュを抜いては戻しを繰り返しているのが見える。彼女の不可解な行動の意味を、私は知ることはない。彼女は私に肯定も否定もされるべきではない。

 駅から五分ほど歩くと、この町にひっそりと埋もれる喫茶店がある。ドアを開けると、奥の席に座る多田間さんが待ちくたびれたように「来た来た」と言ったのが聞こえた。
 多田間さんとは、私が初めてこの町に来た日に出会った。ここで息子を叱りつけていた彼女は、息子がここを出た後、「おねえさん高校どこかしら? 進学校であればお話聞かせてほしいのだけど」と私に尋ねてきた。背筋が凍るほどの不躾さで、他の受験生を出し抜きたいという魂胆は清々しいほどに丸見えだったが、同時に私はある手応えを感じた。結局私は、八月末まで息子の塾の時間はここにいるという彼女に、高校受験の話をすることになった。時折見かけた彼女の息子は常に疲れた表情だったが、一度だけ目が合った時のバツが悪そうなはにかみは中学生らしかった。
多田間さんは学歴が低いと判断した人に対して、その人生が丸ごと無駄だったと言わんばかりの言いようをする。今日も同じように。
 「夏期講習が終わるから、会えるのも最後ね。そういえばこの前話した塾の厚木くん、うちの息子をライバル視してるくせに親の大学は二流だったの! 親の遺伝子継いでいたら勝手に落ちぶれてくれるかしら」
こんな話を、私は丸二十日ほど聞かされた。確かに学歴は努力の証であり、自分を表す記号でもある。しかし、他人のそれを否定して成り立たせるものではない。
 私は遂に、口を開く。
「『大根』という言葉からわかることを全部仰って下さい」
 多田間さんは「は?」と、化粧っ気のない顔を歪めた。学歴の低そうな反応だなと言いそうになる。
「野菜、お味噌汁に使う、白い、あと根菜、かしら」
 根菜、に満足感を含ませて、多田間さんは返事をした。
「それでは大根という言葉を聞いて、その味や新鮮さ、育った環境はわかりますか?」
何世代か前のクーラーの、ごうんごうんという音だけが喫茶店に響く。私は行儀良く膝の上に手を置いて、彼女を出来るだけ優しく見る。
「わからないに決まっているじゃない」
「そうですよね。瑞々しさや重さ、育ち方、名前だけではわからないことがたくさんある」
「何を言ってるの」
「確かに学歴は社会における基準の一つです。でもそれを絶対の判断基準とし、それにより他人を否定するのは恥ずかしいです」
 多田間さんはカッと表情を歪ませた。
「小娘に何がわかんのよ!」
 自身の息子に「二流以下に行くと社会でバカを笑えないわ」と言っていたのと同じ声で、彼女は私を小娘と罵った。
「自分の肯定は何も悪いことではないです。ただそのために他人を否定する必要はない。他人を否定して肯定を手に入れたって、それが間違っていることだってあるのだから」
 私は右手を上げ、下げる。そして咳払いを一つした。
「さようなら。息子さん、笑うとかわいいのに」
 多田間さんの歪んだ顔の、目と口がゆっくり大きく開く。






「早いじゃん。今日も可愛いしスタイル良いね」
駅前の牛丼屋の前に立っているのは、二週間前に私をナンパして来た男だ。






※実際には縦書き2段の小説となっております。
※こちらがおおよそ本編の1/10の量です。
※数冊私が持っておりますので、ご興味を持っていただけた方は是非お問い合わせください!
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Author:えるれ
好きなサイボーグは004です。

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